今村夏子【こちらあみ子】

入試問題 | 文学賞

こちらみこ

目があった瞬間、「読めばいい」とその生き物は私に言った。

「ほう」と私はつれなく返した。

あのね、私に甘い声をかけてくる本はあなただけじゃないのよ。

「そう」と、ユニコーンのような姿をした奇妙で美しい生き物が、しゅんとしてうつむく。私だって意地悪じゃない。本当は、タイトルの響きがとても気に入ったので、連れて帰る。

なにげない違和感を描ききる

本作で第二十六回太宰治賞(「あたらしい娘」を改題)本書で第二十四回三島由紀夫賞受賞。

デビュー作にして。

というのは、読み終えてからおまけのように知ったことだが、その時にはもう私はこの作品がすごく好きになっていた。

図書館に本を返却してしまうと心許なくて、文庫本が発売されるやすぐに迎えに行った。文庫本に追加収録された『チズさん』もよいので、購入するなら文庫がおすすめです。町田康さん、穂村弘さんおふたりの解説付きだし。ま、いっそどちらも買ったらよい。←オイ

目が合った瞬間から君が最高だって気づいてたよ、と言ってみる。

土屋仁応さんによる表紙の「麒麟」が「ほう」とそっけなく答えた。

十五歳で引っ越しをするまで、あみ子は田中家の長女として育てられた。父と母、それと不良の兄がひとり。

といってもこの兄だって、小学生の頃は妹思いのいい兄さんで、不良になった原因のひとつはたぶんあみ子にあるのだが、そんなこともあみ子はもちろん知らない。母が自宅で開いていた習字教室にやってくる「のり君」にあみ子は恋をする。

あみ子を受け止めきれない母と(あみ子はそんなことを気にしない)、

あみ子に苛立ちがつのるのり君と(あみ子はそんなことを考えもしない)、

あみ子に困る父と(あみ子はこれでも気を遣っている)。

あみ子のあたりまえのまっすぐさは、まわりの誰かを苦しめ、追い詰め、傷を残す。彼女にそんな意図は微塵もなく、だからこそ、そのまっすぐさは、時に切なくて、滑稽なのだ。

母のほくろが落ちると譲らず、公園にほくろが落ちていたとあみ子が言い張るシーンでは、思わず吹き出した。もちろん、その場にいた兄の感情は怒りである。

張本人と当事者と読み手のあいだに生まれるこの「ずれ」の感覚。春の小川の流れの如きおだやかさと軽やかな文体が、これほど心をざわつかせるのは、そこに描かれている日常が深い闇を含んでいると知っているから。今村夏子さんは、そのことに気づかせずにさらりと読ませて投げかける。この違和感は、きっと文章でしか味わえない世界で、そこに奇妙な心地よさがある。

「ピクニック」「チズさん」も同じだ。普通とそうじゃないものの境界線などなくて、奇妙さや違和感をすでに日常が内包していることに、気づいていない可能性だって、すぐとなりにあるかもしれないのだ。自分が基準にしている線引きだって、初めからずれているのかもしれないよね。

その線を持たないあみ子のまっさらが、私には眩しくもみえる。

みんながこんな風に生きられたら、たぶん誰も傷つかずにいられるのに。

のり君が佳範だったように、「あみ子」にも別の名前があったのかもしれないと、想像を巡らせる。

たぶん、あみ子も知らないね。

もくじタイトル

こちらあみ子

ピクニック

チズさん

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おすすめポイント

BOOKS雨だれ中学生・高校生・大人にもおすすめ
BOOKS雨だれ今村夏子デビュー作
BOOKS雨だれ表紙の彫刻は土屋仁応さんの「麒麟」

入試に問題に出た小説

今村夏子さんの『こちらあみ子』は2015年【茨城県】国語入試問題に出典されました。純文学が小説問題に採用されるのは珍しい気がします。

受賞歴など

BOOKS雨だれ第二十六回太宰治賞
BOOKS雨だれ第二十四回三島由紀夫賞受賞

今村夏子さんの作品

こちらの小説もおすすめです

デビュー作『こちらあみ子』がえらく気に入って、楽しみにしていた今村夏子さんの2作目『あひる』。第155回芥川賞候補となりました。
信仰宗教にはまりこんでいく家族を描いた今村夏子さんの初の長編小説。芥川賞候補、野間文芸新人賞受賞作。

*関連サイト*

筑摩書房 PR誌ちくま

『こちらあみ子』三島賞受賞対談。 こわれたトランシーバーで交信しようとする希望(千野帽子×米光一成) – エキレビ!(1/5)