『正義をもとめて 日系アメリカ人フレッド・コレマツの闘い』

正義をもとめて
  • 第二次世界大戦中、強制退去を命じられた日系アメリカ人たちの真実
  • 不当な人種差別に立ち向かった青年がいた
  • 戦争と平和、人権について考えるノンフィクション

その時なにが起こったのか?

みなさん、クイズです。

ここは1940年代のアメリカです。表紙の写真はいったい何をしているところだと思いますか?

①物資が足りなくなり食料を求める人の列

②強制連行されてきた人たちの列

③暴動が起こりトラックを襲う人々

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正解は②

1942年4月、ワシントン州プヤラップ収容所に連れてこられた日系人の様子を撮影したものです。なぜ日系人が収容所に集められたのでしょうか?

みなさんは知っていますか?

第二次世界大戦中に、アメリカで起こった日系人への差別のことを。

1941年12月7日。

この日は、アメリカに住む日系人にとって忘れることのできない日となりました。

「Japan attacks Hawaii」

日本が真珠湾を攻撃したという衝撃的なニュースが世界中に流れました。緊迫していた世界情勢に、この一撃は第二次世界大戦の幕開けを告げる号砲となりました。

同時に、この戦争のはじまりはアメリカに住む日系人に大きな不安をもたらします。特に、西海岸にすむ日系人はすぐに連邦捜査局による家宅捜索や尋問が行われるなど「日本のスパイの疑いがある」として警戒されました。

1942年2月20日、ルーズベルト大統領はアメリカ陸軍に、国の安全を守るうえで、ある地域から「一部、またはすべての住人」を立ち退かせる権限を与える『大統領令九〇六六』を承認しました。

日系アメリカ人への強制退去命令

この年の5月の早朝。西海岸にすむ日系二世のフレッド・コレマツは、家業の花屋の仕事をしていました。それは、突然でした。

すべての日系人に対してただちにいま住んでいる住居から立ち退くことを命じるビラが配られたのです。ビラにはこう書かれていました。

「一名につき寝具を入れたズックの袋と、スーツケースふたつ分の衣類の所持をゆるす。一週間後の五月九日土曜日までに荷物をまとめ、当局に出頭したうえ、すみやかに収容所に移ること」

これまで築いてきた財産をすべて放棄し、収容所で暮らすことを余儀なくされる。日系人だというだけで・・・。このような差別を受けたのは、日系人たちだけでした。アメリカと戦っていたドイツやイタリア系アメリカ人には、そのような厳しい強制退去命令はありませんでした。

悔しさとやるせなさと。フレッド・コレマツは、この不当な命令に従いませんでした。そして、ルーズベルトの強制退去命令に対して、日系アメリカ人への人種差別であると主張し、公正な裁判を受ける権利があるとして訴訟を起こします。

これは、第二次世界大戦中に、知られることのなかった日系アメリカ人たちへの差別とそれに立ち向かったひとりの青年の戦いの記録です。

戦争と人権について考える

『正義をもとめて 日系アメリカ人フレッド・コレマツの闘い』は、第二世界大戦中に実際に起こった出来事を記録したノンフィクションです。この本には、戦争、人権、裁判、民主主義などいくつかのテーマが含まれています。ひとたび戦争が始まると、人権や民主主義といった目には見えないものは簡単に崩壊してしまいます。その中で、自分の信念をぶれさせることなく持ち続けることは、容易なことではありません。歴史を知るとともに、人権について考えるきっかけに。

中学生、読書感想文にもおすすめです。

ブックデータ

単行本: 143ページ
出版社: 小峰書店
ISBN-13: 978-4338155038
発売日: 2000/3/1

内容(「BOOK」データベースより)

第二次世界大戦下、なぜ日系人だけが強制収容所においやられたのか。人種差別、偏見、平等、民主主義…アメリカ合衆国政府を相手に立ちあがった日系アメリカ人フレッド・コレマツの記録。

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