なんと悲しい人生だろう。それに、文子という人は、なんとたくましい女性だろう。
金子文子の名前を知ったのは、ブレイディみかこの小説『両手にトカレフ』だ。親になりきれない母親に翻弄される14歳の少女ミア。
物語は、ミアがカネコフミコの自伝と出会うところからはじまり、ミアとカネコフミコの物語が交互に展開する。
ふたりは生きた時代も生まれた国も全く異なるが、ミアは文子に自分を重ね、孤独な闘いの世界に引き込まれていく。文子だけが自分の理解者であるかのように。
ふたりとも、大人に振り回されて、不安定な暮らしを強いられている。子どもであるがゆえに、そこから抜け出すすべがない。
ミアの言葉を借りるなら、”子どもという牢獄”から逃げられずにいる。
金子文子の生き様には、生きづらい時代を生きぬく勇気やヒントがある。
アナーキスト金子文子の魂の慟哭
金子文子とは、どんな女性なのか。海外でも自伝が読まれるような人物でも、私は彼女のことを全く知らなかった。
金子文子は明治生まれ、大正期のアナキストである。死刑判決ののち、恩赦を与えられるが、刑務所で自ら縊れ、その生涯を閉じる。
二十三歳の時のことである。
同じころの私は、はじめての子を産み、そこからまた新しい人生をはじめたことを重ねると、ため息がもれる。
これまでの人生になにがあったのか、判事に命ぜられ書き上げたものが、この自伝だ。裁判ののち文子は判事に頼み、これを宅下げしてもらった。その際こう語っている。
「この手記は天地神明に誓って(もしそうした誓いができるなら)私自身のいつわりなお生活事実の告白であり、ある意味では全生活の暴露と同時にその抹殺である。呪われた私自身の生活の最終的記録であり、この世におさらばするための逸品である。何ものも財産を私有しない私の唯一のプレゼントとしてこれを宅下げする」
全生活の暴露と同時にその抹殺とは、かなり怨念めいている。自ら”呪われた生活”と語る文子の人生、特に幼少期は不幸でしかない。
文子が生まれた時、父と母は籍を入れなかった。それというのも、父親が文子の母とははじめから結婚する気がなかったからある。そのため、文子は長いこと無戸籍者であった。籍を入れるつもりのない女に子を産ませ、その後、一緒に暮らしはじめた母の妹といい仲になり、母親と文子それに幼い弟を捨てて、最後には妹と結婚する。最低最悪のろくでなしだが、文子には、幼いころ父親に可愛がられた記憶も多く、「この頃のほんの少しの間だけが私の天国であったように思う」と綴る。子どものまっすぐな健気さが心を突く。
母と父と叔母との複雑な家族の形、男を頼る母親との不安定な暮らし、常に襲われる空腹、その上、文子は戸籍がなかったことで、学校教育からも弾かれる。さらに、朝鮮での祖母との過酷な暮らし。現代っ子なら、とっくに疲弊して倒れているだろう。文子の生命力の強さに驚く。
死んではならぬ
どんなに苛められても、どんなにどん底でも、がむしゃらに生きてきた文子だが、さすがにぷつりと切れた。
13歳の時、ついに文子は決意する。
「そうだ、いっそ死んでしまおう……その方がどんなに楽かしれない」
そして、鉄道に飛び込もうとする。が、待てども汽車はこない。すでに通過した後だったのだ。
そこで、今度は川へ飛び込もうと、袂へ砂利を詰め、腰に石を巻きつける。ところが、そこで文子はふいに、あたりの自然の美しさに目を見張る。そして、こう思う。
「世界にはまだ愛すべきものが無数にある。世界は広い」
私と同じように苦しめられている人々と一緒に苦しめている人々に復讐をしてやらねばならぬ。そうだ、死んではならない!
文子を死から思いとどまらせたものはなにか。世界の美しさと復讐心である。
期待しては裏切られる繰り返しの中で、人間の業というものを自分の目でまっすぐに見つめ、確固たる自分の価値を築いた文子。文子は自身の生い立ちを嘆いても、自分自身を否定はしない。むしろ、ありのままの自分を主張する。
この自伝についての「添削されるについての私の希望」で、文子はこう綴る。
「ある特殊な場合を除く外は、余り美しい私的な文句を用いたり、あくどい技巧を弄したり、廻り遠い形容詞を冠せたりすることを、できるだけ避けて欲しい」
これこそ、文子が自分の人生における自分自身を強く肯定している声である。どん底で世界の美しさを見るポジティブさこそ、生きづらさからの救いとなる。
さらに、文子はここで復讐という憂鬱な黒い希望の光を見出す。
復讐のために生きるとは、褒められたものではないが、これが、文子に生きる力を与えたのは確かだ。
やりたいこと、行ってみたいところ、小さなことでもいい。ニンゲン、生きるための目標があった方が生きやすい。
どんな時でも自分自身を肯定して、図太く生き抜くたくましさ。激動と波乱に満ちた金子文子の人生は、生きづらい現代に生きる私たちへ「それでも、生きろ」という力強いメッセージをくれる。
さて、文子が誓った復讐は達成されたのだろうか。
よからぬ計画を立てた罪で検収、起訴された文子だが、事件実行には至らない。しかし、それにより、この自伝が生まれて、文子の受けた苦しみ、彼女を苦しみに追いやった人々の非道が後の世まで海を超えて語り継がれることになった。この手記を残すことで、文子は命と引き換えにこれまで自分を苦しめてきた人々への復讐を成し遂げたのだ。
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出版社 : 岩波書店
発売日 : 2017/12/16
文庫本:480ページ
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