丘修三『ぼくのお姉さん』~ひとの心のいたみがわかる<人間>に

丘修三『ぼくのお姉さん』
  • 障がいのある人と社会を鋭く描く児童文学
  • おすすめ:小学校中学年から高校生まで10代に
  • 坪田譲治文学賞ほか多数の児童文学賞を受賞した時代を超えて子どもたちに読んで欲しい名作

本の紹介とレビュー

正一のお姉ちゃんのひろはダウン症である。ひらがなも読めないし、計算もまるでダメ。お金の使い方もわからない。17歳になったお姉ちゃんは、春から福祉作業所で働きはじめた。ある日、朝から落ち着かない様子のひろが、帰るなり、みんなにレストランへ行こうという。お姉ちゃんには、ある計画があったのだ…。(ぼくの姉さん)

ぼくとしげると一郎の3人は、学校からの帰り道にぶっかこうに歩く子どもと出会う。体を大きく揺らしながらまるでよっぱらいのような歩き方をするその子に、しげるは足をひっかけて転ばせてしまう。それからぼくたちはその子を待ち伏せし、ついには3人がかりで暴行をしてしまう。しげるは必死に抵抗するその子に、ふくらはぎを噛まれてしまい…。(歯型)

障がいをもつ子どもたちを取り巻く”社会”を鋭く描く6つの短編集。

この6つの物語には、 障がいをもつ子どもたちと彼らをそばで支える人たちの日常ー苦しみだったり喜びだったりーが、ストレートに描かれる。 丘修三さんは、児童文学作家になる前は養護学校の教諭として障害児教育に携わっている。物語には、作者自身が障害児教育に携わる中で見てきた風景なのかもしれない。

「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)

私たちは、人はみな等しく人権を持つのだと教育を受けているが、現実社会はどうだろうか。マイノリティという言葉が注目され、自分とは違う存在を認め合おうという動きが現れてはいるが、他者の生きづらさまで思いが及ばないことは多い。

私たちはごく自然に、相手が自分にとって対等かどうか、弱者か強者か嗅ぎ分ける嗅覚を持つ。 身についているということは、この社会ではそうした能力が必要とされていることの証拠だ。時に、自分と違うものを恐れている人は、それを理由に彼らを遠ざけ、攻撃を加え排除しようとする(そうした人たちは自分を”社会”だと勘違いしているようなところがある)。そもそもみんな違うのだから、「あなたは違う」などとだれかに言えるような人はどこにもいないはずなのだ。

マイノリティが過ごしやすい環境を作るために大切なことはなにか。 東京大学准教授で、社会学・障害学を専門とする星加良司さんは「それぞれが持っているマジョリティー性に気づくことだ」と語る。
「声の力」プロジェクト:DIALOG 日本の未来を語ろう :朝日新聞 …

社会は、マジョリティにとって有利な環境が整えられているに過ぎない。そのことに気づくことができれば、マイノリティとして生きづらさを抱える人の思いに少しでも心を寄せることができるのではないか。

6つの物語では、ふつうの子どもたち(人たち)が、障がいをもつ子どもと向き合う中で、彼らの置かれている環境の厳しさ(あるいは自分の置かれた環境の生ぬるさ)を目の前に突き付けられる。

「歯形」で、ぼくたちは脳性まひ児である少年を先にからかっていたのではないかと問いただされるが、相手がうまく事実を伝えられないことを知っていて、嘘をつきとおす。脳性まひの少年の文字盤を投げつけるほどの怒り、自分自身の全身を叩きながら泣きじゃくる悔しさ、言葉で伝えきれない思いを込めた涙目とぼくの目が合った瞬間、読み手にも電流が走るような衝撃が走る。

「こおろぎ」では、近所でボヤ騒ぎが起こり、知的障がい児の智(とも)くんが原因とされる。やがて、本当の犯人は別の人物だったことがわかるが、智くん一家は引っ越してしまうのだった。智くんはやっていないと信じる母親には「非常識」だと責める声が立つ。後から罪を告白する方は、少々バツの悪い思いをするだろうが、罪を認めて許されればまた何もなかったようにいつもの生活に戻ることができる。

何もしていないのに守られない人と、ルールを犯しても守られる人の違いはなんだろうか。

「あざ」に登場する公子はごくふつうの女の子だが、知的障がい児の久枝(ひさえ)と仲良く遊ぶ一方で、見えないところで久枝の体をつねる。ひざを折り、どてどてと大股にあるく久枝は障がいをもつ子だということはすぐわかる。できないことも多いが、久枝の母は久枝が大好きだ。「あそんであげる」と言って久枝の家にやってくる公子は、健康なふつうの女の子と言えるのだろうか。やがて公子の久枝への接し方に変化が現れ、小さな希望とともに物語は終わる。

公子を変えたものはなにか。生きやすい社会につながるヒントが、ここにもあるように私は思う。
公子は、久枝が自分にはない才能を持っていることに気づく。弱者としてとらえていた久枝への見方が変わる瞬間だ。他者に向けていたフィルターをはずすことで、人はまっすぐにものごとをとらえられるようになる。他者とまっすぐ向き合うことは、自分自身とまっすぐ向き合うことにつながる。久枝に対して、まっすぐな気持ちで向きあうことで、公子は絵が好きな自分を取り戻す。

現代の複雑な社会で上手に生きていくためには、他者を見抜き、自分を”安全な “場所に配置する能力も必要なのだろう。しかし、 まわりをもう一度ゆっくりと見まわし、まっすぐに自分と向き合ってみて欲しい。 それで本当に自分が守られているのだろうか。

この物語が、読者の子どもたちにも強く問いかけるだろう。

おすすめポイント(受賞歴など)

第3回 坪田譲治文学賞受賞 (1987年)
中央児童福祉審議会・特別推薦(1987年)
新美南吉児童文学賞(1989年)
日本児童文学者協会・新人賞(1987年)
赤い鳥さし絵賞(1988年)

本をチェックする

丘修三さんの物語は、短くて読みやすくて、心に響き、深く考えさせられる物語が多く、小学生、中学生に読んで欲しいと思う作品がたくさんあります。

ぼくのお姉さん (偕成社文庫)
偕成社
丘 修三 (著), かみや しん (イラスト)

単行本: 186ページ
出版社: 偕成社
発売日: 2002/9/1

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