- 知恵とユーモアで乗り越えるおばあちゃんとの爆笑貧乏生活
- ドラマ・映画化で話題のベストセラーノンフィクション
- 豊かさと幸せについて考える
本紹介
昭和33年、戦後からの復興に向かう高度経済成長期。
焼け野原となった広島の町で、女手ひとつで居酒屋を営みながらふたりの子どもたちを育てるかあちゃんは、あるひとつの決意をした。
昭広少年が小学校二年生になったある日のこと。
佐賀から、かあちゃんの妹の「喜佐子おばちゃん」が遊びにくる。すっかり喜和子おばちゃんになついた昭広少年だが、その時、もうすでに作戦は決行されていることに気づいていない…。
喜和子おばちゃんが佐賀に帰るという日、少年はかあちゃんと一緒に駅まで見送りについて行った。久しぶりのお出かけにウキウキと上機嫌の昭広少年。
やがて、長崎行きの汽車がホームに入ってくる。
「姉さん、またね」
「喜佐子ちゃん、お母さんによろしく」
発車のベルが鳴り、ドアが閉まる直前。
ドン!
背中を押されたはずみで汽車に飛び込んだ昭広少年を、喜和子おばちゃんがしっかりと抱きとめる。
ふりかえる背中にはかあちゃんの姿が。
汽車は無情にもドアを閉めて走り出す。
ホームで涙を流すかあちゃんの姿が小さくなる。喜和子おばちゃんも泣いている。ここでやっと昭広少年は知るのである。
当時の昭広少年は、寂しさから夜毎、かあちゃんを探し求めて広島の町を走り回っていた。このままでは教育によくないと相談した大人たちは、昭広少年を佐賀のおばあちゃんに預かってもらうことに決めたのだ。
泣きたいのは少年の方である。
まるでこれから起こることなど何もないかのように、ごく普通にあいさつを交わす先ほどの姉妹の姿は、なんだったのか。まるで女優である。
これは、昭広少年と佐賀のばあちゃんとの生活の序章である。
がばいばあちゃん
「がばい」とは佐賀のことばで「すごい」という意味。
がばいばあちゃんは明治30(1900)年生まれ。戦争で夫を亡くし、掃除婦として女手ひとつで7人の子どもを育て上げた。
ばあちゃんと昭広少年のくらしも、楽なものではなかった。
トタン板が半分剥がれ落ちた、茅葺き屋根のボロ家に住み、朝の4時には仕事に出かける。
炊飯器などはなく、毎朝、大きなかまどでご飯を炊き上げるのは昭広少年の仕事になった。
川で拾った木切れを乾かし薪にする。時々、野菜も流れてくる。
おやつは木の実、おもちゃは手作り、湯たんぽを水筒代わりに使い、ザリガニを伊勢えびだと言って食卓に出す。
「泥棒に入られても何も盗られるものはない。
あんまりないから、何か置いていってくれるかもしれん」
なんていうばあちゃん。
そこには、貧しくても、後ろめたい思いをさせまいとするばあちゃんの心遣いがいつもあった。
みんなが持っているものを買ってもらえなくてもふて腐れず、
かあちゃんがいない毎日を寂しいと弱音を吐くことなくこらえる。
ばあちゃんの思いは、昭広少年を明るく強く優しい少年に育てた。
友だちが家から運動会で質素な弁当をひとり教室で食べる昭広少年に、先生方が「おなかが痛いから弁当を交換してくれ」と毎年声をかけたという有名なエピソードがある。
あのころ、貧しさは当たり前にあちこちにあった。みんな貧しさを知っているからこそ、優しさがあった。落ち込んでもしょうがないことを知っているから、笑いがあった。
いま、世の中はどんどん便利になり多くの人が充分に食べていけるだけの生活ができるようになった。それでも、もっともっとと欲する心は止まらない。あのころに比べたら、豊かな時代になったと言えるはずだが、多くのひとはいま”豊かな生活”とは考えていないようだ。
豊さとはなにか。
充分とはいえない、がばいばあちゃんとのくらしの中にそのヒントが隠れている気がする。
吉行和子主演で映画化、また泉ピン子主演でドラマ化も。
本をチェックする
1987年初版以来、2007年4月までに400万部を売り上げたベストセラー。映画化・ドラマ化のほか舞台化もされています。また、海外でも注目され映画化されるなど話題作となっています。
当時を知る人は昭和を懐かしみながら、子どもたちにとっても、昭和の少年たちの日々に驚いたり笑ったりしながら楽しみ、少年の寂しさや強さ、まわりの人たちの優しさにふれることのできるいい作品です。
小学校高学年から・中学生・高校生・大人にも。すべての人におすすめです。
文庫: 205ページ
出版社: 徳間書店
発売日: 2005/1/1
続編もあります