石川宏千花『拝啓パンクスノットデッドさま』が私に放ったのは、揺るぎない”なにか”を持つ人の揺さぶられない前向きさと圧倒的な強さ。
晴己にとって、それはパンクであるわけなのだが、果たして私にはなにがあっただろうかと10代を振り返るが、残念ながら、これといって思い浮かばない。
今でこそ、毎日、本のことばかりこうして考えているが、あの頃の私は月に1冊も読めばいい方で、さほど本に興味もなかった。
だからといって、情熱を注ぐべき”なにか”に飢えていたかというとそういうわけでもない。
私の日々もそれなりに不安定だったし、だからこそ、目の前に置かれた課題にただ飛びついて、勉強ばかりしていたのかもしれない。
私が学校で一生懸命に詰め込んできた”なにか”は社会を生きる知識となり、生活を支える小さな武器になったが、それ以上でなはい。
例えば、勉強そのものが私に喜びや生きる意味を与えてくれたり、絶望のふちに立たされる時、それを乗り越える力になったりは…あんまりしない。(私が研究者だったなら話は別かもしれないが)
あの頃、情熱を燃やし生きるしるしとなるような”なにか”が私にもあれば、人生は違ったものになっていたかもしれない。それはそれで困るので、まぁこれでよかったのだろうが、やはり私には”なにか”を持つ人の強さや輝きが羨ましく映る。
本の紹介
晴己は高校一年生。生活のために、中華料理店と百円ショップのアルバイトをかけもちしている。
めったに帰ってこない母親と、どんどん減っていく銀行の封筒の中のお金。不安を抱えながら、中二の弟・右哉とふたりで寄り添い暮らしている。抱えるだけで精いっぱいの現実は、隙間なく、いつも目の前にある。
あの頃、指しゃぶりのくせが直らない小学生二年生の弟とふたりきりの夜にくりかえし聴いたのは、パンクだった。
これさえあれば、大丈夫。
そう思えた。
こうだったらいいのに、という期待通りに人生は進まない。無理に何かと戦う必要はないが、嵐のような過酷さの中で、自分を見失わずに生きるためには、揺るぎないなにかを持っている方がいい。
晴己にとってそれは、”右哉とパンク”だ。ふたりには「いつか兄弟でバンドを組む」という夢があった。
不確かな日々の中で、弟の右哉とパンクだけが、確かなもの。そういう確かな”なにか”を持つことが、”生きる”を支える大きな力になる。
ふたりの元に母さんが帰ってきて、きちんと働いてくれたら、この物語はハッピーエンドで終われるのだろう。でも、現実は思うようにならない。
晴己と同じように、周囲に気づかれず、厳しい環境の中に置かれてる子どもたちは必ずいる。そういう子たちに、なんでもいいから、君だけの”これさえあれば大丈夫”を見つけるんだよって、そしたらなんとか前向いて笑える方に歩いていけるってことを、この物語は教えてくれる。
本をチェックする
パンクとか音楽とか全然知らなくても大丈夫。控えめに言って、中学生の読書にめちゃおすすめなので、文庫本も出してください。
出版社 : くもん出版
発売日 : 2020/10/10
単行本 : 223ページ