ジョージ・ソーンダース『短くて恐ろしいフィルの時代』

ジョージ・ソーンダース『短くて恐ろしいフィルの時代』表紙

人間とは、愚かな生き物である。なんともばかばかしくて、へんてこりん、突拍子もないが的外れでもない、人間のエゴがありのままに描かれた心にちくりと残る物語である。

はじめに言っておく。この物語の登場人物たちは、私たち人間とは少し形がちがう。スコップ上の触手を持つ者、シャベル状の尻尾のある者、五つの白い口ひげと七つの巨大な腹を持つものもいる。とはいえ、私たちと同じように言葉や感情を持ち、何よりも彼らは文中で自分たちが”人間”であると語っているので、これは私たち人間の物語であるらしい。

人間は群れを成し、社会で生きる生き物である。
ひとりでは生きられないのに、簡単に他者を排除しようとする。
ひとりでは生きられないのに、特別なひとりになろうとする。
自分に都合よく世界を作り変えることができると思い込むフィルのような人間は少なくない。
自分がフィルではないことは確かだが、フィルとは全く違う人間だとも言い切れない。
異世界転生系ラノベの人気が象徴するように、自分に都合の良い世界を望むのはみんな同じだろう。強い意志と実行力、それにちょっとしたきっかけがあれば、だれもがフィルのように独裁者になれる素地がある。

本の紹介

これはフィルの物語であり、私たちの物語。フィルの場合は、こうだ。

〈内ホナー国〉の小ささときたら、国民が一度に一人しか入れなくて、残りの六人は〈内ホナー国〉を取り囲んでいる〈外ホナー国〉の〈一時滞在ゾーン〉に小さくなって立ち、自分の国に住む順番を待っていなければならないほどだった。

内ホナー人たちは、最初のうちこそ外ホナー人に感謝していたが、たっぷりとした土地でコーヒーを飲んだりなんかして優雅に暮らす彼らに対し、憎しみの目を向けずにいられない。

外ホナー人たちは、寛大で慈悲深い顔をして、卑屈でみじめったらしい内ホナー人に対して嫌悪感と優越感を抱いている。

かくして国境のあちこちで、敵意むき出しの状態が何年も続いていた。そんなある日、事件が起こる。突然、〈内ホナー国〉がさらに小さくなったのだ。〈内ホナー国〉にはひとりが立つスペースすらなくなり、〈外ホナー国〉にはみ出すしかない。これが、フィルには我慢ならなかった。

「われら外ホナー人に美点があるとすれば、それは寛容なことである。われら外ホナー人に欠点があるとすれば、それは寛容すぎることである!」

今の今まで平凡な男と思われていたフィルが、急に他の外ホナー人たちの目にちがって映った。これほどまでに熱烈に、これほどまでにたくさんのややこしい言い回しを、これほどまでに自信たっぷりに使い、しかもいかに自分たちが心の広い優秀な民族でありながら、そのことを誰からも感謝されずにきたかを、これほどまでに的確に言い当ててみせた人間が、ただの平凡な男であるはずがない。(本文より)

もちろんフィルも欠点がある平凡な男である。
最愛の女性にフラれた恨み加えて、時々、脳がラックから勢いよく落下してしまうという問題を抱えている。だが、名演説のあとでは、だれもそんなことを気にしない。それどころか、フィル様の転がった脳を拾ってやるのが自分の役目だ、などと勝手に使命感を抱く者すら現れる。かくして、物語はへんてこりんな方へとどんどん転がり(それはもう、フィルの脳のようにころころと)、そしてエスカレートしてゆく。

風刺的寓話として、違和感はユーモアとして捉えられるが、実社会では、私たちはなにが起こっているのか理解できないままに自ら渦中へ転げ落ちるしかない。暴走した社会からは、無傷では抜け出せないこともおわかりいただけるはずだ。フリーダのように。

人間は、理不尽な世界を簡単に作ることもできるし、それを、簡単に受け入れようとする力もある。何度も失敗を繰り返しているのは、独裁者だけではない。フィルの言葉を借りるなら「芽のうちに摘む」のが肝心なのかもしれない。

訳者の岸本佐知子さんはあとがきで、フィルのこんな言葉を紹介している。
「この奇妙な物語世界が、読んだ人の胸の内でいっとき赤く燃えあがり、その後も折にふれて、昔見た鮮やかな夢のようにひょっこりよみがえってくる、そんなものになることを願っていますーあるいは、そう、怖いのだけれど不思議と面白い、悪い夢のように。」

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中学生・高校生へ、朝読書や読書感想文の本にもおすすめです。

短くて恐ろしいフィルの時代
角川書店(角川グループパブリッシング)
ジョージ・ソーンダーズ (著), 岸本佐知子 (翻訳)

出版社 ‏ : ‎ 角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日 ‏ : ‎ 2011/12/27
単行本 ‏ : ‎ 143ページ

著者について

ジョージ・ソーンダース
1958年米国テキサス州生まれ。コロラド鉱業大学卒業後、石油採掘クルーをはじめ、ビバリーヒルズのドアマン、屋根職人、ギタリスト、コンビニ店員、食肉加工工場等さまざまな職業を経たのち、シラキュース大学創作科に学ぶ。卒業後、母校で教鞭をとりながら、精力的に作品を発表。「天才賞」として名高いマッカーサー賞のほか、グッゲンハイム賞など数々の賞を受賞。”小説家志望の若者に最も文体を真似される作家”と評される。

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