原爆を生き抜いた人たちに物語がある~朽木祥*八月の光・あとかた

平和

八月の光・あとかた

三十万の死があれば三十万の物語があり、残された人々にはそれ以上の物語がある。(あとがきより)ヒロシマ原爆投下のあとを生き抜いた人たちの魂に寄り添う物語。

 生き残った人たちのために

戦争の本は、幼いころからいつくも読んできた。古い学校図書室の本棚には、そうした本ならいくらでも並んでいたから。つらい、悲しい、痛い…戦争の本に描かれていたこうした思いは、いつも犠牲となって亡くなった人たちのためのものだった。無念さややるせなさ、それは生きることのかなわなかった者たちへのレクイエムだった。

この本は、これまで読んだどんな戦争小説とも違う、ふしぎなあたたかさがある。

「生き残った人びとのために」

これは、本の最初に書かれている言葉。

おっとりとしてきれいだった母は、髪が抜けおち大量の血を吐いて亡くなった。広島へ人探しの手伝いへ行って毒を拾ってきたのだという。

光子の母は、疎開を決めた朝、銀行へ行ったきり戻ってこなかった。たしかにそこにいた証だけを石段に残して、そのままそっくり消えてしまった。

あの日、誰かが何かを失い、みんながたくさんのものを失った。

失ったものの大きさを、「あの日」を知らない私たちが測ることはできない。

あの日、名前も何もかもすべてを失い記憶を封印した少年に神父は言った。

あなたが思い出せば、誰かの苦しみや悲しみもまたその人たちだけのものではなく、みんなのものとしてきっと記憶されていくでしょう。

私のようなものでも、そのような記憶に支えられて、私たちだけの記憶を、いつの日か、”私たちの記憶”として語ることができる日が来るかもしれません。(P120)

失ったものを失ったままにしておかないために、

悲しみや苦しさをそのままで終わらせないために、

必要なのは記憶をすべてつないでいくこと。

知識をつないでいくことと同じで、それが歴史をつなぐということなのかもしれません。

そのために私たちは、いろんなことを知る必要があるし、

そのために文字を学び、心を磨いていく必要がある。

そんな風に考えるのも、私経験を重ねてこの歳になったからなのかもしれない。

広島生まれで被爆二世であるという著者。この物語に登場するほとんどの人びとに実在のモデルがあるそうです。単行本のあとがきで、このように語っています。

だからこそ、私たちにできることは、“記憶”すること――あの人びとが確かにこの世にいて笑ったり泣いたりしていたこと、無惨にその生を奪われたこと、残された人びとが理不尽な罪責感に苦しみながらそれでも生きて、やがてしんじられないような力で前を向いていこうとしたこと――そんなことをみな、決して忘れないでいて語り継いでいくことなのだと私は信じている。

戦後から70年を過ぎ、もうあの戦争を自分の言葉で語れる作家さんは当然いないと思っていたけれど、残された人にそっと寄り添ってくれるようなこんな物語が生まれたのは、やはり生き抜いて伝えて残してくれた人たちがいたからでしょう。

*読み終えて戦争について考えて感じたこと*

戦争で生き抜いた人の記憶に残る苦しさは、

本当に彼らのせいではないことだから

誰にも咎められる必要のない苦しさで

それでも、だれかにしてやれなかった後悔に

いつまでも苦しめられてしまうほど人間は優しすぎる。

戦争という悲劇から学ぶべきは

私たちは戦うことには向かない生き物なのだということ。

私たちは、戦うには優しすぎる。

*もくじ*

八月の光

雛の顔

石の記憶

水の緘黙

あとかた

銀杏のお重

三つ目の橋

*おすすめポイント*

◇小学校高学年・中学生・高校生・大人まですべての人におすすめです

◇原爆、戦争をテーマにした小説

◇被爆二世が描く原爆小説

◇ぜひ10代に読んでほしいおすすめの良書

◇読書感想文にもおすすめ

*本をチェックする*

単行本「八月の光」では、3つの短編を収録。

今回紹介した「八月の光・あとかた」は、「八月の光」に2編の短編を追加収録し、文庫本化したもの。

八月の光 失われた声に耳をすませて (創作児童読物)」は、文庫本にさらに2編を加え、児童向けに編集された単行本になります。