中沢啓治『はだしのゲンわたしの遺書』~原爆のことは思い出したくなかった

中沢啓二「はだしのゲンわたしの遺書」表紙
  • 漫画「はだしのゲン」の作者・中沢啓治さんの自伝的ノンフィクション
  • 原爆のことは思い出したくもないという中沢さんが漫画を通じて伝えたかった思いとは
  • 漫画は苦手な人にも読んで欲しい。小学校高学年から世代を問わずおすすめしたい1冊

「はだしのゲン」は、原爆が投下された広島の町で、戦禍を乗りこえ、貧困や偏見に苦しみながらも力強く生きる少年の姿を描いた漫画である。作者の中沢啓治さんは自分の体験をもとにこの漫画を描いた。

「原爆のことは忘れたいと思って生きてきた」という中沢さんは、この漫画にとんな思いを託したのだろうか。

原爆投下を生き延びた中沢少年の体験と漫画家・中沢啓治の思いを綴る自伝的ノンフィクション。

原爆を生き延びて

1945年8月6日、広島市。小学2年生の中岡元(ゲン)は、父と母、姉の英子、弟の進次と貧しくともつつましく暮らしていた。その朝、いつものように学校へ向かったゲンは、突然の閃光と爆風で気を失う。気が付くと、町は変貌していた。

爆風で押しつぶされた建物、おびただしい数の真っ黒焦げの死体、焼けただれた皮膚を引きずり歩く人々、全身にガラスが刺さった少女…そこには地獄のような景色が広がっていた。

小学2年生のゲンの目線で見る原爆の脅威は凄まじく、心臓をわしづかみにされ、痛みを感じるほどの恐怖に震える。

原爆投下直後を鮮明に描いた漫画の冒頭部分は、著者・中沢啓治さんの実際の体験から描かれている。

中沢啓治さんは当時小学1年生だった。原爆投下の瞬間、偶然、小学校の門の影に体が隠れる位置となり、奇跡的に無傷で助かる。急いで家に戻った少年が見たのは、つぶれた家の下敷きとなった父親と弟の姿だった。さらに、お腹の大きかった母は、ショックから出産が早まり、妹が生まれる。

私が「はだしのゲン」を読んでいたのは、小学校高学年のころ。怖かった記憶しかない。特に、冒頭のシーンはあまりに衝撃的で、中沢さんのノンフィクションを読むまで、フィクションを交えているのだと思っていた。改めて、原爆の威力と壮絶な体験を乗り越えた人たちの強さに心を揺さぶられる。

原爆投下の威力

広島市のホームページによると、当時の広島市の人口35万人の市民や軍人がいたと考えられる。そのうち、この年の12月までに亡くなった人はおよそ14万人。爆心地から1.2キロメートルでは、その日のうちにほぼ50%が死亡。爆心地により近い地域では80~100%が死亡したと推定されている。

同じ時間、たてものの打ち壊し作業のために本川の土手に集まっていた広島二中の一年生は、数日のうちに全員が亡くなっている。

中沢さんがほぼ無傷で助かったことは、本当に奇跡と言える。

漫画家として

やがて中沢さんは、手塚治虫に憧れて漫画家を目指す。原爆のことを漫画にするつもりはなかった、と語る。

「原爆のことは忘れたい、被爆したことは人に言うまい、と生きてきた。」

「原爆のことなんか思い出したくもなかったし、漫画にも描きたくなかった。」

「原爆」という言葉を見るだけで死体の腐るにおいがよみがえり、あの頃をふりかえる度に、家族を失った苦しさや母の死への悔しさを思い出して辛くなった。そんな中沢さんが、なぜ原爆漫画を連載しようと思ったのだろうか。

たったひとつの原爆に、どれだけ多くの人間が殺されたか。どれだけ多くの人生が狂わせられたか。どれだけ多くの人々が原爆後遺症に苦しめられてきたか。

本文より

この漫画を通じて、原爆のことを知ったという人は多い。

漫画「はだしのゲン」は、1973年から集英社の「週刊少年ジャンプ」で連載を開始する。「週刊少年ジャンプ」では、アンケートの人気投票によって連載枠が確保できるシステムがある。「はだしのゲン」は、人気投票の結果はイマイチだったようだが、当時の編集長の意向で人気投票とは別枠で連載を続けた。

やがて「はだしのゲン」は子どもたちだけでなく、原爆を知らない大人へ、原爆を伝える代表的な物語となった。

現在では、原爆を知る貴重な資料として世界でも10か国以上の言語に翻訳されて読まれている。

忘れることは時には必要かもしれないが、戦争と原爆のことだけは絶対に忘れてはいけない。

本文より

忘れてはいけない思いを伝えていくために、中沢さんは辛い経験を漫画に託した。その思いをまた次の世代へ残すことが、私たちの世代に託された使命ではないだろうか。

2012年12月19日、中沢さんの人生を綴ったこの本が出版された。中沢啓治さんが亡くなった翌日のことだ。この本は中沢さんの最後の作品となり、私たちへのメッセージの込められた遺書となった。

NHKクローズアップ現代ー世界をかける“はだしのゲン”

本をチェックする

『わたしの遺書』では、漫画には描ききれなかった少年ゲンの心の内やその後の人生が、語りかけるような文章でつづられ、まるでドキュメント番組を見ているようにすらすらと読める。まんが「はだしのゲン」も多くの中学生・高校生に触れて欲しい作品だが、「はだしのゲン」が怖くて読めない、という人にもこちらのノンフィクションを強くおすすめしたい。

出版社: 朝日学生新聞社
発売日: 2012/12/19
単行本: 224ページ

この本もチェック

戦争や原爆についてもっと知りたい人に