『いしぶみ―広島二中一年生全滅の記録 』~原爆で命を失ったひとりひとりの記録

いしぶみ
  • 【BOOKS雨だれ】中学生に読んでほしい50冊
  • 原爆で命を奪われた旧制広島二中一年生たちの哀しみの記録
  • 小学校高学年から中学生、高校生、大人の人にもぜひ読んでほしいノンフィクション

原爆を知るノンフィクション

第二次世界大戦ではじめて使われた原子爆弾は、それまでの爆弾とは比べものにならないほどの破壊力を持っていました。原爆の投下で、たくさんのものが一瞬にして奪われました。旧制広島二中の一年生321人が全員亡くなりました。この本は、広島テレビが取材した広島二中一年生たちの記録です。

1945年8月6日の朝、広島の町に世界初の原子爆弾が投下されました。

いつもと変わらない朝でした。

このころ広島市内では、大空襲を想定して、町の中の建物を壊す作業が盛んに行われていました。なぜ建物を壊すのか?と思いますよね。万一、たくさんの爆弾が落とされるようなことがあれば、町に一気に火事が広がってしまいます。それによって、人々が逃げ場を失ってしまわないように、町のところどころに空き地を作り、逃げ道確保するための作業でした。

東京大空襲で多くの人が火事の犠牲になり、命を落としていました。

この日、広島二中の生徒は学年ごとに市内の各所に分かれて、壊した建物の後片付けの作業をする予定でした。

この日も暑くなりそうな朝でした。

早めに作業を済ませようということで、集合時刻は8時10分でした。

集合時刻を少し過ぎたころ、一年生は本川にかかる新大橋(現在の西平和大橋)のそばに学級順に整列していました。雲ひとつない上空にB29の姿が見えました。たった3機の爆撃機です。この日の朝も、空襲警報が鳴ったばかりでした。みんなは偵察飛行だろうと考え、空を見上げていました。

B29が原子爆弾を投下し、爆発するまでの時間はわずか43秒間。

いしぶみに刻むひとりひとりの記録

この日の朝、久保田英樹くんはくぎを踏み抜いた足が痛いから作業を休みたいと言いましたが、父に叱られて家を出ました。

東京から疎開してきた船倉浩太郎くんも、この日は珍しく「学校を休みたい」というのを頑張って集合したのでした。

そうしたことを、おうちの人たちはよく覚えていました。「行ってきます」といって家を出ていった子どもたちが、また元気に帰ってくると思っていました。

「ふせろ」という声を聞いた人もいますが、その瞬間、太陽のようなものすごい強い熱と光、そして爆風が襲いました。多くの子どもたちが、原子爆弾の爆発とともに命を落としました。生きている人たちは、なんとか川に逃げました。そのまま力尽きてしまった人もいました。

ひどい火傷を負いながら必死に家にたどり着いた人も、間もなく亡くなりました。

「おかあさん」とつぶやきながら、家族に会えないまま死んでしまった人がいます。

どうなったのかわからないまま、行方不明のままの人もたくさんいます。中には、家族も原爆でみんな亡くなったと思われる人もいました。

信じられないことですが、わずか数日で広島二中の一年生321人が全員亡くなってしまいました。

広島市公園にある広島二中の慰霊碑には、この時なくなったみんなの名前が刻まれています。ひとりひとりに夢があり、未来に希望がありました。そのすべてが一瞬で奪われたのです。子どもを失う悲しみは、大人にとって希望を奪われることです。

この本では、ひとりひとりの写真とともに彼らがどんな風に亡くなっていったのか細かい取材をもとに掲載されています。この本はひとつひとつの命の声を伝える記録であり、彼らが生きていた証です。

ブックデータ

単行本: 199ページ
出版社: ポプラ社
発売日: 2009/7/1

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